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自分で体の痛みやコリを解消したり、様々な機能改善効果を実感できるエクササイズ、KaQiLa~カキラ~を伝えるブログ。

伝わる言葉を探す日々 気持ちが追いつかない

「気持ちが追いつかない」最近印象に残った言葉です。

 

コロナ禍で今までと違う、ということを誰もが強いられています。そんな社会の変化に対して、会話の中に出てきたこともあったかもしれません。いろいろな工夫で変化に対応する毎日で、対応自体に追われて気持ちがついていかないと。

 

でも、印象に残ったのはプロの介護士さんの口から出た時でした。

 

 

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気持ちが追いつかなくなった時 

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高齢者施設でレッスンをさせていただいていると思いがけないタイミングで壁にぶち当たることがあります。

それは、突然のお知らせ「実は〇〇さん、お亡くなりになられました」です。

高齢の方が調子を崩された時には、お元気でいらっしゃるところから一気に悪くなるケースも多く、先週まで元気に体操されていた方が今週お休みしたかと思ったらそのままお別れになってしまうことがあります。

その日、いつも来てくださっていた方が数人、突然にお食事がとれなくなって、2~3日のうちにあれよあれよという間に体力も認知能力も急激に衰えてしまって入院したり、送れていた日常から一度に介護状態が変わるといったことが重なったそうです。話してくださった方も、職業柄ある程度の耐性があるはずですが、「気持ちが追いつかない」とポツリ。

消えてしまいそうな命の最後の灯火に、一生懸命それまでその方の生活に寄り添ってこられたからこその気持ちのある言葉だなと思いました。 

 

どうしようもないこととどうにかできること

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その突然の別れの予感に

ーーー最後にお会いした時笑ってくださってたかな

 

わたしが施設に呼ばれてお邪魔しているのは、認知症の予防や、介護の予防、健康に役立てていただけるよう一緒に運動することを仕事として与えられているからです。

「運動」とは文字の通り、運ぶ動かす。

では、運ぶ動かすのは身体だけでしょうか。

わたしは気持ちや心も一緒でないとそれはとても辛いものになってしまうと思うのです。

高齢の方に限らずですが、その場へ行くだけでも億劫なこともあります。その気持ちを乗り越えて、またはお忙しい中時間を調整して、それぞれの事情の中でレッスンに足を運んでくださっています。特に高齢者の方にとっては運動は億劫な気持ちになることも多いと思います。

行ったら楽しい、そう感じていただけるような時間を一緒に作っていかないと行きたい気持ちや好奇心などはすぐにしぼんでしまいます。

わたしにどうにかできること、は共有する時間の中で、明るく元気に、少しでも皆さんがふっと笑っていただけるようにすること、身体と一緒に心の緊張やこわばりや歪みを少しでも楽にしていただくこと。

 

時には突然のお別れを知った直後で、なかなか辛い時もありますが、それでもできることはそれだけです。なので最後にお会いした時がその方とわたしの最期。その時できる精一杯のパフォーマンスで一期一会の思いを込めてレッスンします。

自分のできること、やるべきことを見失わないでいること、そしてそれができたかどうかはとても大事です。

できたはずなのにできなかった、この思いが一番心残りになるので、そうすると気持ちが追いつかない以上のダメージを受けることになります。

気持ちが追いつかなくなること、はどうしようもないけれどそれ以上のダメージを回避すること、これは普段の行動や考え方でどうにかできる部分もあると思います。

 

気持ちが追いつかなくなるのは

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気持ちが追いつかなくなるのは、想いがあるから

当たり前ですが、元々思いや気持ちがなければ追いつかなくなることはありません。

いつものようにレッスンに行き、いつものお顔ぶれで並んでいてくださることの貴重さを思わずにいられません。

 

気持ちが追いつかなくなりそうなところを救ってくださるのもまた、そこにいらっしゃる高齢者の方で、他愛もないお話を含めいろんな話をたくさんします。 

若い頃何に夢中になっていたか、何が好きでどんなこどもだったか、結婚やお仕事で住んだ思い出の土地のこと、戦争の体験、普通はその時々の近しい人としか共有しない想いを何十年も経って話してくださった時、人生の一部を預けてくださったような気持になることがあります。

認知症で話したことすら忘れておられても、何度も同じ内容でも。

その一見些細な雑談、忘れてしまうようなやりとりを繰り返していると心の距離が縮まり、信頼関係が深まり、一緒に身体を動かす時に安心してご参加くださるようになるので気持ちも元気になっていかれるように思います。

お話を聞くことは直接依頼された仕事の内容ではないかもしれない、けれどそれは欠かせない要素となっています。

もしかしたら、仕事のやり方としては間違っているかもしれない。

踏み込み過ぎかもしれない。

お別れのときには自分の心のダメージが大きい。

安全にさえ配慮して、サラッと体操のやり方をお伝えし効果を出したら、にこやかに帰る、だけでいいのかもしれない。

けれど、人生の終盤に、家族にも(家族だから)話せなかった様々な思いをお預かりする(とわたしが勝手に思っているだけですが)ことが私には大切な、そして貴重なことに思えてこのやり方を変える気はないのですが。

 だから気持ちが追いつかないことも引き受けていくしかない。

 

 

気持ちが追いつかなくなった時は身体から調整する

気持ちや心といった目に見えないものは、整っているのか見えないので、自分自身でも気づかないときに他のことで思いがけずダメージをきたしたり、体調が崩れてしまうこともあります。

なので逆に身体の方をいつも整えておくのがいいと思います。

 

身体を整えるのには、栄養、睡眠、運動の3つともがそろっているのが理想です。

わたしはコロナ禍でもレッスンに行くことで自分の身体を整えることができていました。スタジオが閉鎖になった時でもオンラインや十分な距離が取れる屋外で、KaQiLa~カキラ~をしていました。栄養の摂り方についても教わっていました。

 

何かそういう身体を整えるアイテムを持っておくことはこの先の人生で、健康寿命を少しでも長くして物理的な寿命の限界まで自分のことを自分でしたいという願いをかなえるのには必要かなと思います。

手前味噌ではありますが、無理をせず、身体の心地良さと相談しながら運動できるKaQiLa~カキラ~はおすすめですよ。

 

KaQiLa~カキラ~とは

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最後までお読みいただきありがとうございました。

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